2022年の6月に行ってきた直島旅行の写真です。1年半前のものですが、写真がいっぱいあるので、まとめてみようかと。オーバルに1泊、ミュージアムに2泊して、ろ霞という旅館に1泊しました。良かったらどうぞ。オーバルは→こちら。ミュージアムは→こちら。ろ霞は→こちら
アート鑑賞といっても今回は豊島美術館をメインにしていたので、島全体を見て回ってはいません。豊島美術館には2回行って、1回は快晴、1回は小雨と違った天気で鑑賞出来てラッキーでした。写真撮影不可なので、美術館内の写真は無し!
豊島美術館
直島からフェリーで豊島へ。直島内はレンタルバイクで移動していたので、豊島にも持っていけたら、、、と考えていましたが、直島と豊島を結ぶフェリーは小型船のため、バイク乗船不可とのことでした。家浦港で自転車を借りて豊島美術館に向かいます。アップダウンが多いので、ちょっとした運動になりますよ。
畑越しに見える海。天気に恵まれれば、とても気持ちの良いサイクリングに!
豊島美術館に向かう道中にある「唐櫃の清水」。ここらへんが標高的に一番高かったと思います。ここからはほぼ下り。ここの集落に本籍のある知り合いがいましたが、その人の姓も「清水」でした。
この景色が見えたら、下って右が豊島美術館!
チケットカウンターにてチケット購入。西沢立衛設計のこの美術館は、このチケットカウンターと内藤礼の「母型」、ミュージアムショップがそれぞれ独立した建物となっていて、それらを遊歩道が繋いでいます。
遊歩道と横から見た「母型」。「母型」入口までは敷地をぐるっと周る構造。またその途中、海が見下ろせる高台があったりもするので、全身で自然を感じつつ、はやる気持ちを抑えながら入口に向かいます。
シェル構造の建物には柱、梁が無く、滑らかな1枚の天井です。その天井には2カ所開口があり、ガラスも入っていないので、風は吹き抜け、雨も入ってきます。天井からきわめて細い糸が垂れ下がっていて、風に揺らいできらめきます。ところどころ床から水滴が出てきて流れ、ほかの水滴と合流し、また離れてコロコロと流れていきます。そよ風に揺れる木々のざわめき、鳥の声。重量感のある、ひんやりとしたコンクリートの感覚。
小雨の時は、コンクリートの床にあたる雨がパチパチと弾けるような音を立てていて、「あー、雨の日も来られて本当に良かったなー」と思いました。湿度のある空気も湿った森のにおいも、晴れた日には感じられなかったものだったので。天気によってもまったく違ったものになるので、時間や季節が変われば、また違った感想を持つはずです。その瞬間、その瞬間、その場所でしがあり得ない強度がこの作品にはある。いつでも、何回でも行きたい美術館です。素晴らしかった。
ショップ&カフェ。床が絨毯なので、入るのに靴を脱ぐ必要があります。靴を脱いでリラックス。ここでお茶をして集中力を回復して、また美術館に戻るのが正解ですね。
軽い食事もできます。お米に刻んだブラックオリーブをあえたもの。しっかり鑑賞するには食事は軽い方がいいので、ちょうどいいボリューム。
「唐櫃の清水」近辺にカフェとかできていましたね。私は行きませんでしたが、時間があったら寄ってみてもいいかもしれません。
ベネッセハウスミュージアム
ベネッセハウス宿泊客は一般の鑑賞者が入れない時間の朝と夜も作品鑑賞ができます。
朝の時の回廊と安藤建築。朝の光が建築のエッジをより強調してかっこいい。
打ち放しの壁と緑。緑が輝いてます。
朝食前に人のほとんどいない美術館で作品鑑賞なんてめちゃくちゃ贅沢。作品を所有している感があります。凛とした美術館の空気に朝から澄んだ気持ちになります。ここに住みたい。。。
夜のブルース・ナウマン、「100生きて死ね/100 Live and Die」。暗がりに浮かぶLive or Die。ボケーっと作品を眺めながら、生きること、死ぬことに思いを巡らせます。身近な人が亡くなった後だったので心にくるものがありました。
朝とは違った表情を見せる美術館。朝は凛としていましたが、夜はしっとりと、しずかに心に染み入る感じ。
朝から夜まで、一日中作品にどっぷり浸かれるのは、何物にも代えがたい経験ですね。鑑賞するのではなく、浸かれるのがいい。作品を対象化して考察するのではなくて、内在化して直接体験するようなものです。そんな作品との関わり方への気づきを得た気がします。
家プロジェクト
大竹伸朗「はいしゃ」外観。かっこいい。トタンのさび具合、重なり具合、大竹伸朗というほかない。
床のコラージュも良いけど、私は壁の質感が好きですね。
トゥオンブリーのような/タピエスのような質感。サム・フランシスのような色彩。ずっと見ていたい。見続けていたい。
新潟で拾ってきた自由の女神。これを貰うのもパンク。ここまで運ぼうと思うのもパンク。それを実行するのもパンク。人間の意志とか、良く分からないものに惹かれる習性とか、バカバカしさとかはかなさとか、そんなのを全部ひっくるめたのが作品であり、人生であり、生きる事なんだと思えてしまう。そして、そこから湧き上がる謎の感動。
宮島達男「角屋」。直島に昔からあった古民家を改装、水中にデジタルカウンターを仕込んだ作品。デジタルカウンターのスピードの設定は島の人にしてもらったようで、制作に参加した島民一人一人が、おのおののデジタルカウンターのスピードをそれぞれ設定したと。
私は1999年の夏に初めて直島に来たのですが、その頃の家プロジェクトは、この作品とジェームス・タレルの「南寺」のみでした。島も現在のように観光地化されておらず、お昼を食べるところも全然なくて、移動も徒歩だったように思います。郵便局員がノーヘルで配達していたのを見てビックリしました。島の人も若い観光客が珍しいのか、やたら話しかけられた記憶もあるし、トマトとキュウリを貰ったりもしました。
そんなわけでこの「角屋」にもおそらく歩いてきたはず。どのくらいの時間、作品を観ていたのか覚えていませんが、ずっと一人だったのは覚えています。外はけたたましいほどの蝉しぐれ、焼きつくような真夏の日差し。それとは対照的に、水中で静かに、正確に時を刻み続けるデジタルカウンター。これ以上の対比を私は知りません。
強烈な体験でした。確実に現在の私の一部になっている経験です。あの時の私でしか感じられなかったものが、確かにそこにあったと思います。
徒歩での移動も、ノーヘルに驚いたのも、島の人に野菜を恵んでもらったのも、それらすべてがもう二度と体験できない、当時の直島だからこそできた、大切な、本当に大切な経験です。
1年以上前の旅行でしたが、文章にしたらいろいろ思い出すことがあって良かった。
楽しく読んでもらえたなら、なお嬉しいです。
それではアニッチャ!!!
コメント