『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン (著)

医学書

 『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン (著)を読みました。私たちの生きていく上で苦しみや困難がいかにして生まれるのか、そしていかに根源的なものなのかがよく分かる良書でした。そしてそれに対する強烈なカウンターとなるのが運動だと。ではでは内容はこんな感じ。

脳の唯一絶対の使命

 まず大前提としての脳の唯一絶対の使命、それは『生き延びて遺伝子を残すこと』。本書で描かれるのは、脳が果たそうとするこの使命と、周りの環境が織り成す変奏曲の数々である。

 人類が誕生して以来、その99.9%の時間は飢餓や殺人、干ばつや感染症との戦だった。そしてこれらから身を守るために進化したのが脳。この目的がすべてなので本人の精神状態は関係がない。そしてネガティブな情報の方がポジティブな情報よりも生存に直結しているので、ネガティブな情報により強く反応するようできており、そのことによって本人が苦しむかどうかは度外視されている。それが悲しいかな人間の初期設定。不幸にもつらい事件や事故に巻き込まれた後に発症することのあるPTSDもこの文脈から説明できて、そのメッセージは『何回でも、何回でも、何回でも思い出せ。命の危機を忘れるな。そしてそこから生き延びる術を学べ』である。その記憶に本人がどれだけ苦しめられようとも。アンデシュ・ハンセンは別の著書、『ストレス脳』で次のように書いている。

パニック発作やPTSDは不安障害の中で最もつらい部類に入るが、それは脳があなたを守るための手段なのだ。同じことがあらゆる種類の不安についてもいえる。脳はあなたに慎重になってもらいたくて安全を最優先する。

『ストレス脳』アンデシュ・ハンセン (著)

闘争か逃走か

地球上に存在した時間の99%、動物にとってのストレスとは恐怖の3分間のことだった。その3分が過ぎれば、自分が死んでいるか敵が死んでいるかだ。で、我々人間はというと?それと同じストレスを30年ローンで組むのだ。

ロバート・サボルスキー(スタンフォード大学神経内分泌学・進化生物学教授)

 ストレスを感じたとき、即座に体は『闘争か逃走か』、どちらにでも対応できるよう筋肉に大量の血液を送るため、拍動が速く、強くなる。現在では命にかかわるレベルの心配事はほとんど起こらないけれど、心理社会的ストレスを受けると同じシステムが作動する。このシステムの中心になっているが脳の偏桃体で、その作動の仕方は『火災報知器の原則』と呼ばれている。つまり、間違えて鳴らないよりは鳴りすぎる方がいい。敏感だが、必ずしも正確ではない。そしてこのシステムは常にスイッチがオンになっている。

 またストレスが今の脅威そのものなら、不安は脅威になりえるものだ。不安はストレスのシステムを事前に作動させた結果という事なのだが、脳にはこの現実の脅威=ストレスと想像上の脅威=不安を区別することができないらしい。現在では命に係わるような緊急の事態に遭遇することはほぼ無いにも関わらず、些細な刺激によって常にこの『火災報知器』が警報を発し続けてしまう。目の前のストレスに。将来の不安に。

 著者は進化の必然としてこのように言っている。

いちばん強いとか賢い、もしくはいちばんストレスに強い人が必ずしも生き残れたわけではなかったからだろう。危険や争いを避け、感染症にもかからず、常に食糧不足の世界で餓死しないことも、同じくらい大切だった。

 不安を感じる能力が高い個体だからこそ生き延びることができた。我々はその末裔なのだ

人は知識を渇望する

 進化の観点から人が知識を渇望するのは不思議ではない。周囲をより深く知ることによって生存の可能性が高まるから。周囲を理解したい、新しい情報を探し出したい、その本能の裏にある脳内物質が『ドーパミン』。脳には新しいことだけに反応してドーパミンを生産する細胞があるらしい。新しい情報=報酬なのだ。これも生存の観点からすれば当然のことで、常に食糧が不足していた狩猟採集時代、同じ場所にいるよりも、新しい環境を渇望し、移動することによって新たな食糧を手にできる可能性が増えるわけだから、そのガソリンとしてドーパミンを利用してきた訳。我々は未知のものを知りたい衝動を生まれながらに持っている

 そして現代、ただ寝転がってスマートフォンを見るだけで新しい情報がいくらでも手に入るようになった。ただスマホをフリック/スワイプするだけで、いくらでも報酬が手に入るのだ。そしてそれはニュースサイトだろうが、メールだろうが、SNSだろうが、同じように作動するようだ。

『かもしれない』が大好きな脳

 さらに報酬システムを激しく作動させるのは、お金、食べ物、セックス、承認、新しい経験のいずれでもなく、それに対する『期待』とのこと。何かが起こる『かもしれない』という期待以上に、報酬中枢を駆り立てるものはない

 脳は確かなものより不確かな結果の方により多くのドーパミン報酬を与える。著者はその答えに100%の確証はないとしながらも、最も信憑性が高い説明として

ドーパミンの最重要課題は、人間に行動する動機を与えることだから

と、述べる。 

 道から外れた木陰に食料にできる小動物が隠れている『かもしれない』。木に登ってみたら下からは見えなかった実がなっている『かもしれない』。川で魚が取れる『かもしれない』。実際に成果が得られるかは行動してみないと分からないが、行動しなければ報酬はゼロだ。ドーパミンによる動機付けによって動かされた人間と動かなかった人間、どちらが生き延びる確率が高くなるかは明白だろう。結果、我々は『かもしれない』衝動に抗えない

 スマホは単純に情報を運んでくるのみならず、『かもしれない』衝動も突き動かす。メールが届いている『かもしれない』、いいねがつけられている『かもしれない』、興味深い動画が更新されている『かもしれない』。『かもしれない』衝動に延々駆り立てられ、それをずっと使用してしまう。実際、テック企業はそのあたりのことを当然の事実として捉えていて、より人々が衝動に駆られるよう脳神経学者とともに一番ドーパミンが出るタイミングで、「いいね」等を表示する調整を行ってらしい。こうやってスマホは我々の脳を『ハックする』。

 すでに我々は日に何百回もドーパミンを放出させてくれるスマホが気になって気になって仕方がなくなっている。実験によれば、電源を切った状態でもスマホをポケットに入れていれば集中力が下がるらしい。これはたとえ電源が入っていなくても、スマホを「無視」することにエネルギーを使ってしまうため。それほどまでに、『かもしれない』誘惑は強烈なのだ。

自分のことを話す=報酬

 人間には「自分のことを話したい」欲求がある。これは自分のことを話すことによって他者との絆を深め、協力する可能性を高めるため。これは他者との連帯しなければ人間は生きていけないというのはもちろんだが、さらに直接的な意味では他者に殺されないためだ。狩猟採集の時代で10%~15%程度、原始的農耕社会では20%程度が別の人間に殺されてる。他者の考えをくみ取って、集団の中で自分が無能でないことをアピールし、そこに連帯を示す。この辺りの話は『バカと無知-人間、この不都合な生き物-』橘玲(著)に詳しい。無能は無能によって排除されることを恐れて自分の能力を高く見積り、有能な人間は、その有能さから権力者によって排除されないように自分の能力を低く見積もる。結果、誰もが自分の能力を平均より少し上だと思っていて、実際に無能か有能かは自分では絶対に分かり得ない。ちなみに殺人がどうやって分かるのかというと、頭がい骨左側頭部が陥没しているところかららしい。正面から右利きの人間に鈍器で殴られていると。返り討ちにあう可能性もあるのに正面から行くあたり、古代人の男気を感じるのは私だけでしょうか。。。

 自分のことを話したい、分かってもらいたい、周りのことも理解したい。生きるためにはまず殺されない事。これは極めて根源的な欲求で、その根源的な欲求を刺激するのは、、、そう、SNSだ。さらに技術の発達により聴衆の数は爆発的に増えた。

人類の進化の期間のほとんど、聴衆は1人~数人程度だった。現在はSNSのおかげで思いもよらない可能性を与えられた。数百人から数千人に自分のことを語れるのだ

 こうしてさらにスマホに脳が、人生が絡めとられて行く……。人類にとって最も重要な資源である時間が奪い取られているのだ。

人生を取り戻すために運動せよ!

 スマホに絡めとられている人生を取り戻すのに、さらにはストレスや不安に対しての有効な対抗策となりうるものが『運動』だ。なぜストレスに対して運動が有効なのか。それはストレスのシステムが猛獣から走って逃げることだった時代に形成され、ストレスの大部分が『闘争か逃走か』という類の危険に結びついていたからだ。体が鍛えてあれば『闘争か逃走か』のどちらにしても切り抜けられる確率が上がる。また不安に関しても前に書いた通り、ストレスのシステムを事前に作動させた結果なので、これにもまた運動が有効である。ストレスや不安に対抗するためには心拍数の上がるような運動(ジョギング等)が効果的らしいが、どのような運動(散歩や草むしりでも)にも、ほぼすべての知的能力の上昇が確認できるとのこと。生物が一番集中しなければならないのは、動いているとき(食べ物を探して動いている or 食べ物として追われている)だったのだから。

 とにかく何でもいいので動く必要があるのだが、その時間を奪っているもの、それもまた『スマホ』。。。

そして人類は幸せな生き物ではない

 人間は幸せになるようデザインされていない。最初に書いた通り、『生き延びて遺伝子を残すこと』に最適化されている。不安や気分の落ち込みは生存の観点から喜びや心の平穏よりも優先されるべきことだった。美味しいものや素晴らしい風景、順調な出世をしても、そこで感じるポジティブな感情はすぐに消え失せ、もっと美味しいものを食べたい、さらに素敵な景色を見てみたい、もっと昇進したいという新たな欲求へと変わっていく。今あるもので満足していたら、不確かな未来を生き延びることができなかったのだから。私たちの祖先はそのようにして生き延びてきたのだ。

そして著者は次のように書く。

今のような余裕のある環境に、自然はまだ人間を適応させられていない。だから私たちは不安を感じ、危険を探し続ける。本当はもうそんなことをする必要はないのに。

 脳の構造と現代の環境のミスマッチ。命の危機なんてほとんどないのに、自ら進んでストレスを探し続け、不安に苛まれ続ける人生。私はまさにこのことによって悩み、以前ブログで書いたブッタの瞑想法、ヴィパッサナー瞑想にそれを打開する答えがあるのではないかと、今は思っています。

 なんとも切ない人類のデフォルトの設定ですが、どのような設定であれ、我々は与えられたもの中で精いっぱい生きていくしかないのです!

 強く生きろよ!

 それではアニッチャ!!!

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